平成の大晦日とはよく言った

書いて残すことはお金も全くかからず、何年か後に読むと非常に面白いものである。書くという作業については鉛筆とノートも味があるが、もう30年以上もキーボードを使っているので私の文房具はパソコンである。作文の保存場所も机の引き出しではなくハードディスクになってしまった。賛否両論はあると思うが、どの時代でも賛否はあって、それを選ぶ自由ということにおいて平成は良い時代であった。

今日は平成の大晦日ですあと一時間だよとテレビが言っている。世間では10連休の長期休暇があって、我が家も久しぶりに家族が揃いさながら大晦日である。

私ぐらいの年齢になると普通の大晦日には飽きてしまっているが、今日只今のこの不思議な高揚感はいままで味わったことのないなんとも不思議な感じである。この高揚感を書いて残しておこうと思う。

昭和から平成へ変わった時は私は23歳のはずで、色々覚えていても良いはずなのにちっとも思い出がない。ただ毎日昭和天皇の御具合が悪い輸血したなどの報道が続き、1月7日に崩御されてから日本は真っ暗になってしまったことは覚えている。改元にはいい印象はなかったのである。

私は天皇陛下は好きである。私は小さい頃は祖母と過ごすことが多かった。皇室アルバムを一緒に見ていた。祖母はよくテレビに映る陛下を拝んでおり、自然小さな私も手を合わせるのであった。祖母は陛下が現人神の時代の人であったので拝んでいたのであろう。小さな私は祖母が拝むのだから偉い人なんだろうぐらいの気持ちであった、と思う。私の父などは「天ちゃん」などと言っており、それはそれで敬愛の表現であった。

大人になった私が上皇陛下を好きになったきっかけがある。2011年の東日本大震災の時であった。未曾有未曾有と総理大臣まであたふたしていた日本で、唯一テレビでまともな発言をしたのが上皇陛下であった。画面に映った陛下は被災者に対するお見舞いはもとより、自衛隊を含む全ての現場で働く人々に対しての慰労と感謝をはっきり言い切った。他のどんな政治家も、コメンテーターと言われる不思議な人たちも、テレビで自衛隊に対する慰労をはっきりは言わなかった。言った後の自分の保身を考えたのであろう。しかし陛下は、はっきりとお言葉にした。自衛隊への慰労と感謝を。勇気なのか当たり前のことなのかはわからぬが、それを聞いて私は溜飲が下がった。まともな日本人がいてくれたことがたいそうありがたかった。

私が想像するに、天皇はずうっと日本と日本人のことを考えている人なのだろうと思う。その一生をかけて、神の祟りが日本とその無辜の民に降りかからぬようにお祈りをしてくれているのである。神様は基本的には人間を守ってはくれない。神からしたら人間は守るべきものではなく、気まぐれに祟って見ようかぐらいの存在である。古来から日本人はずっと祟られてきた。祟りを拒むことはできない。だから日本人は拝むのである、祈るのである。天皇陛下は一年365日、日本のことを考えてお祈りをしてくれている。その上、私から見たら退屈な儀式や公務に出席し、背筋を正し居眠りもせず、ずっとにこやかに居る。私には到底できない。できる人を私は尊敬する。

後10分で平成が終わるとテレビが急かしている。

改元については賛否両論あろうと思うが、今回のものは良かったのではないかと思う。暗さがないのは上皇陛下の日本国民に対する思いやりであろう。また、時間の単位として、人間の命の単位があってもいいのではないかと思う。西暦は天文学の単位てあり、地球の自転と公転が止まらぬ限り継続するのは当たり前で面白みがない。日本の命の単位は終わるが続く。そして2000年間以上途切れたことはない。これは大きな安心感ではないだろうか。

さて、あっという間に令和がすぐそこまで来てしまった。平成にさよならを言わなければいけない。

この盃を受けてくれ どうぞなみなみそそいでおくれ

花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ

 

さようなら、そしてこんにちは。

 

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